【小説】「針の上で歌う:この世界から、音がなくなればいいのに」
針の上で歌うーそれはどんな状況なのだろう?
この物語を読むまで、恥ずかしながら場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)などについての知識が一切ないといっても良いほど知らない世界でした。
そして、令和2年未曾有のウィルスによって変わってしまった世界、コロナによって奪われた世界の中で見えた生き方と青春の物語。これが恋愛モノだという認識のないまま読み進めていましたが、最後の若い2人の想いに胸がギュッとなります。南口綾瀬さんによる音楽と香りとアイデンティティを描いた恋愛小説。
あらすじ
特定の場面で声が出せなくなる「場面緘黙症」を抱えた女子高生・アヤ。全身黒づくめの完全武装で自分を保っている。そんなアヤは、歌うことが大好き。人前で歌うことはできないが、自分で作った歌を歌う動画をネットでアップしてから運命の歯車が動き出す。令和2年、未曾有のウィルスの脅威で世界が混乱していても人と距離を取りたいアヤには都合良い日常となっていた。彼と再開するまでは…。
場面緘黙を抱えた少女と突然に姿を消した幼馴染の少年の再会には、それぞれの秘密が隠されていて…。
感想
「この世界から音がなくなればいいのに」そんなことを本気で思っている女の子がいました。それが一番生きやすい理想の世界だと思っていたのです。彼女は特定の場面で声が出せなくなる場面緘黙症を抱えていました。
”場面緘黙症”?言葉としては知っていてもいざ、どんな思いを抱えて、どんなフォローが必要なのか、どんな症状なのか?など知らないことだらけだとまず感じさせられました。
”あがり症”や”吃音”なども同じように一種の精神的な不安症の症状として表されたり、作中では遺伝や環境も要因であるという説明もありました。
著者である南口綾瀬さん自身の経験から描かれた部分もあるとのことなので、実際に場面緘黙などを抱えていらっしゃったのだと思います。
そんな経験からリアルな心情が描かれ、それを克服しようとするのではなく受け入れて幸せに生きていくというスタンスで、様々あれど勇気づけられる作品でもありました。
物語の中心はやはりこの場面緘黙症の少女についてなのですが、主人公が密かに想い続けた幼馴染の少年、恋愛を必要としない少女や夢を追いかける大学生、何にも臆することなく挑戦し続ける親友、そして家族たち。それぞれが抱える思いや青春の1ページ、コロナによって制限された世界など、何をとっても考えさせられる一冊だったと思います。
主人公のアヤは、視線が送られる場面で言葉が出なくなることを「針が喉に突き刺さるような感覚」と表現します。向けられる視線を針のように感じ、喉が締め付けられるように、言葉を奪っていくのです。
それがどんなに苦しいのか、想像する中で一番近い感覚を思い出しそれが生活の中でいくつも存在する状況なのだとしたら、主人公のようになるのは必然だと感じます。
私は、緊張する場面などで、ふわふわと浮かぶような感覚と喉が締め付けられる感覚、そして吃音のような症状や逆にペラペラとおかしな発言をして後悔することがあります。
大きな舞台で話すなどでなくても、道端で会った近所のママさんや、学校の先生などでも、言葉が出なかったり、ちょっとした失言をしたりします。現在はだいぶ良くはなってきましたが、きっと大きな舞台では今もうまく話せないのでしょう。
そんな感覚以上の物を抱えた主人公が、「歌」を通して自分を表現し、踏み出していく姿が、眩しく感じると共に、今の時代のニューノーマルな感覚であることも実感します。
この小説が”恋愛小説”であると、後書きの著者の言葉で知りました。ずっと主人公の恋心が中心だったにも関わらず…w
きっと理解力の問題なのでしょうが、結果どう思っていたのか?などの答え合わせがない気持ちなども描かれていて、難しく感じることもありました。
読んだ方との意見交換をしたいほどに、自分の解釈が間違っていたらと思うとそわそわしてしまいます。
例として、幼馴染のジュン君はアヤとの再会についてどう思っていたのか?アヤの前からいなくなる時どう思っていたのか?アヤの両親のその後は?親友のなっちゃんは帰ってきたの?チヒロの抱えているものは?歌の歌詞は?など、知りたいことがたくさんです。
そんな空白も含めて作品であり、思いを馳せて想像する楽しみもあります。そしてそんな思いを馳せている時間もこの作品についてじっくり考える時間であり、作品の一部なのだと思ったのです。
著者の作品
南口綾瀬さんの著書「ぼっちママ探偵」の世界線と、この「針の上で歌う」の世界線は繋がっています。
「ぼっちママ探偵」での主人公の娘・成美は「針の上で歌う」でアヤの親友なっちゃんとして登場します。
反対に、「ぼっちママ探偵」では成美のクラスメイトとしてアヤは”綾音”として登場。
「針の上で歌う」は、小学生で出会った2人が高校生へ成長し、離れていてもお互いにかけがえのない親友として支え合っているという世界線のお話です。
他にも、他の作品に登場していたと人物が違う作品で登場する世界線があり、「あの時のあの人(子)」が登場し、ワクワクします。
南口さんの作品は全て他の物語と繋がっているのです。どこかに登場するあの時のあの子、というように繋がった物語を辿るのはとても面白く、ワクワクします。
他著書「ぼっちママ探偵」レビューはこちらから
おわりに
あとがきにて、南口さんも「場面緘黙症」を抱えていらっしゃったことが書かれていて、その上で当事者として支援が受けられずにいた経験を元に「そうなればいいな」を含ませた物語になっていたのだという事で、さらに物語について、個性や特性について、夢や優しさについて、考えるきっかけとなりました。
そして、主人公アヤは場面緘黙症や視線恐怖症を克服しないまま自立を目指し立ち向かおうとしています。その決断について、著者は”苦しむ姿ではなく前向きな姿こそが理解を広げてくれることを実感したため”と話しています。
そして、こういった症状で苦しんでいる人がいることを知識とし、理解を持っていくことで克服する人が増えるかもしれないし、何もできなくても、安心してと伝えることができるかもしれない。物語のジュン君のように。
そして、もう一つ著者は「皆さんはどうなのだろう?」という質問をされています。
それは、ご自身が物語を読む時に「登場人物を芸能人に当てはめて楽しむのが好き」という事。
ーどちら派ですか?
私は同じように、登場人物を芸能人に当てはめて物語を読んでいくタイプです。
正確には”実写化されるなら”という細かい設定で、今人気の俳優さんや年齢に合った役者さんを考えて当てはめ、セリフはこんなふうに話されるだろうとか、こんな表情をしてくれるだろう、とカメラワークなんかも思い描いています。
二度目に読む時には完全にその俳優さんが演じた一本の映画として想像しながら読んでいますが、果たしてこれは作者の意図するところなのか?と疑問にも思っていたところなので、南口さんが同じように読まれていることを知って嬉しくなりました。
ちなみに、まだ「針の上で歌う」の登場人物を当てはめることができていないのです…。それは、登場人物のほとんどが学生で、若い俳優さんをあまり知らないことが原因です(情けない)
アヤちゃんは歌う人です。なので、幾多りらさんやアイナジエンドさんかな?と思ったのですが、年齢が…
ジュン君はLDH系の爽やかイケメン。もしくは特撮系の可愛い系男子。
ふわっとしか想像できずモヤモヤしています。もしこんなのどう?という例があったら是非共有していただきたいですね。
最後に、この作品は「ぼっちママ探偵」から著者の作品というリンクから辿り着きました。全くといって良いほど「場面緘黙症」についての知識はないし、どちらかというとアヤちゃんやジュン君のお母さんの立場。
しかし、そんな甘酸っぱいだけの青春恋愛物語ではなく、考えさせられるテーマであり、勉強になった面もありました。
心に残る一冊、となったのは間違いありません。是非、この秋の夜長に読んでみて下さい。